March 27, 2010

強さの定義

冬の仕事として、薪割りをすることになりました。

薪わり










ぶつ切りにされた大量の丸太。
雪の中で凍りつき、ガチガチですが、
あえて愛用の斧一本で、割ります。

これも修行です。


振りかざしては、打ち下ろす。

薪










薪割りは、一年やってきたけど、この量はない。
振りかざし、打ち下ろす。

割っても割っても、次の丸太が待ってる。
終わりがない。

なぜ、こんなことをしているんだろう。


僕はもっと強くなりたいのだと思う。

僕の心は弱いから。
すぐに、くじけてしまう。
すぐに、人を傷つけてしまうから。
だから強くなりたい。

この丸太が全部、この斧で割れれば、強くなれるの?

薪割りのスキルが、身につく。

そんなもの。
自分に無いものを探して、その欠けた部分を埋めるために
必死に何かを掻き集めているだけじゃないか。


ニーチェって哲学者が、「人生は無意味」だと。
その無意味であること、ただ「虚無」という運命を受け入れることが
『強さ』の定義だと云いました。

薪割りをしていると、頭はいろいろ考えます。
これも無意味か。

たくさん割り











薪はあらかた割り終わり、何も変わらない自分。
空は、薄曇りで風は寒い。



もう一つの強さの定義は、あるの。

「力を行使する必要性を感じないこと」

それは他の人の肯定を必要としない。
つまり「すごいね」って云われなくても、その人はすごいの。
だから、力を見せつける必要性がない。

でも、そうなろうとしても、なれない。
強さを求めれば求めるほど、そっから離れちゃうから。


陰陽が教えてくれるのは、
良いも悪いも無くて、「ただそれがあるだけ」ということ。

ひとつのものが別れたり、くっついたり。
結局、全部ひとつのものだから、
全部、自分につながっている。
壁も、それを破るための力もいらない。

その強さが「力を行使する必要性を感じないこと」。
つまり「受け入れること」だと思うの。


人生に意味があっても無くても、その意味を必要としない。
ただ今を生きて、自分の出来ることを淡々と続けるだけ。

虚無











僕が使うことのない薪が、薪小屋にぎっしりと並ぶ。
これで良いのだ。


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この記事へのコメント

1. Posted by 白州のうるとらまん   March 28, 2010 08:01
あくまでもストイックなpapaさんへ、、、(^^;
http://www.vipukirves.fi/media/video1.htm
http://www.vipukirves.fi/media/video4.htm
肩の力、抜けました、、、?
2. Posted by macrobi papa   March 28, 2010 09:05
うるとらまんさん、macで見れないッス。
Media playerないとダメみたい。

いろいろとあって、ちょい、落ち込んでいたけど、
何とかなるサーで、やってます。

最近、薪割りとインパクトドライバー。
チェーンソーの技術が身につきました。
どれも、料理人やってるだけじゃ、身につかないものですね。

それはそれで、結構楽しいのです。
山梨に来て良かった。うん。
3. Posted by macrobi papa   March 28, 2010 09:09
師匠、これじゃないですか(↓)。

http://www.youtube.com/watch?v=5uOBjiWFgI8

あと、これ(↓)。

http://www.youtube.com/watch?v=KCJADv2shNE&feature=related

すごいすごい。
あ、なるほどねー。
4. Posted by kirara   March 28, 2010 19:10
>薪はあらかた割り終わり、何も変わらない自分。

それは一心に薪割りをしていないということです。
心ここにあらずで仕事をしているということです。
体と意識をひとつにすること。
意識を自分にもどさなければ何も変わりません。
薪割りをしながら
食事をしながら
お風呂に入っているときも
パソコンに向かっているときも
いろんなことを考えていませんか?
意識が体から離れたら 振り捨てて 意識を体にもどしてください。
そうして 裸の自分にもどらなければ
どんな言葉も理屈もなんの役にはたたないと思います。
弱さも優しさも 強さのひとつの表現だと思いますよ。
5. Posted by macrobi papa   March 29, 2010 07:57
あまり心配かけるなということですね。

この記事、コメント付けづらいなぁ。
6. Posted by タンボロッジの料理長   March 29, 2010 10:30
これから始まる薪割りの季節。
papaさんをタンボロッジにスカウトしたいっ!!
7. Posted by 。   March 29, 2010 16:40
ダメですわ・・・
どうやっても、見れません。
気になる・・・(;-_-+
8. Posted by macrobi papa   March 29, 2010 19:33
>タンボロッジにスカウトしたいっ!!

朝晩2食付きで相談に乗ります。
9. Posted by macrobi papa   March 29, 2010 19:34
>どうやっても、見れません。

ユーチューブの方なら何とか出来ます。
10. Posted by 。   April 01, 2010 11:15
やっぱり、見れないのよ。
でね、
見れないから、
色んなことを、想像しました。

“シジフォスの岩”とか。
あれって、
無心に、ただ運び続けるのと、
色んなことを、
あれこれ考えながら、運ぶのと、
どっちが辛いのかしらね?あ、逆ですわ。
どっちが楽なのかしら?

無心と、雑念と、
どちらも、大切なものだと
私は、思うの。

この器を得て、
現世に生きてる以上、
人は、人との関わりなくしては
生きられないのですもの。
無心は、ある意味、
外界に対する拒絶に思えるの。

薪割りに必要なのは、
単なる集中力と慣れで、
怪我の心配さえなけりゃ、雑念、大いにけっこうだと・・・。

捨てがたいからこそ、
無心は、悟りでもあるのだけど、
そうそう捨てちゃいけないもの
なんじゃない?それって。
集中力の極致で、
無心か?と思える瞬間も
あったりするのだけど、
その時に、研ぎ澄まされてる、
勘のようなものは、
様々な雑念の集大成なんだと
思いますのよ。

あなたの雑念が、
私は、
あなたらしくて好きなんだけど?
11. Posted by tiger rinrin   April 01, 2010 12:25
薪が並んでるのって綺麗ですね。
中島敦の「名人伝」を思い出しました。
弓矢の達人になるべく修行を積んだ男が、それを極めた時弓を捨て、二度と持つ事はなく、数十年後弓矢を見て、不思議そうに「これはなにか?」ときくのです。
ニーチェの「無意味」な生を生きる「力」も、この弓矢を極めた男の話と同じ響きをもっているような気がするのです。
ニーチェはまた、「力」は「美」であるとも言います。
これも一義的に見てはいけないものだとは思いますが、私は綺麗に並んだ薪を見て「無意味」を感じるのと同じくらい「美」を感じことがあります。
無意味の中にも「美」はひしめいているようです。
温泉につかって、夜空見て、「あー、生きてて良かった」とかって思わず出ちゃうアレもそうじゃないですかね(笑)

そう考えると「力」が「美」を宿すんじゃなくて、「美」に「力」と呼ぶものを感じるということなんじゃないだろうか。
そして「美」は必ずしも無理や無意味を強要しないんじゃないだろうか。

もちろん、
努力して割った薪は美しい。
良いもの見せてもらいました。ごちそうさま。です。
12. Posted by macrobi papa   April 02, 2010 00:07
シジフォスの岩、調べてきましたが、
どう考えても、ゼウスが悪いでしょ。
逆恨みというか、人間くさいですね。
神話のそういうところも、僕は好きですが。

>ただ今を生きて、自分の出来ることを淡々と続けるだけ

これが僕の答えだったと思うのですね。
無心でもあり、意志でもあります。

過去にとらわれず、未来に怯えず、
ただ今、このひとときを生きる。

禅で、座禅を組み、心を無にしようとすると、無心には到達できないと思うのです。
強さの定義も同じだと思いました。

そこに到達する唯一の方法は、手放すこと。

この話は、また今度ですね。
13. Posted by macrobi papa   April 02, 2010 00:16
tiger rinrinさん、こんばんは。
名人の話。なるほど思いました。

ただひたすら薪を割っていると、小鳥たちが寄ってきて、
歌を歌うことがありました。
しばし、斧をもつ手を止めて彼らの声に耳を傾けます。
そうか、もう春が来たんだね。

2羽ほど、枝から枝に飛び跳ねながら、
こっちを見て、美しい声で鳴きます。
青く小さな、美しい鳥。
ほら、良かったら、こっちにおいで。

その時、ずばっと小鳥たちが切り株に飛び込んできて、
割った薪から出てきた幼虫を、ガブっ。
そのままヒット&アウェイ。

また、こっちをじーと見る。
美しい小鳥たちも、生き残るのは大変なのですね。

生きるのは大変。
でも、楽しい。
暑いも、寒いも自分の気持ち次第ですものね。
14. Posted by 。   April 02, 2010 10:12
ギリシァ神話の神々は、
どう贔屓目に見ても、
人格者(神格者?)ではないですね。笑

もっとも、
ゼウスが好色漢にされて
しまったのは、
色んな国の王さまが、
家系に箔付けするために、
自分達の何代か前の王女が、
ゼウスに襲われたという話を
でっちあげたせいだという
話もあります。笑

人間の力では、
どうにもならないことや、
理不尽なことの擬人化が、
オリンポスの神々という
存在ではなかったかと、
思ったりもするのです。

でもこれは、また別の話。
15. Posted by macrobi papa   April 03, 2010 19:15
薪と僕と斧。
薪割りのうちに、それだけがあって、
僕はただ、薪を割るという行為そのもの。

その一瞬も僕の人生になるのなら、
意味はなくても、無意味ではありません。

道を探すのではなくて、僕のすることが道になるのだと。
それが薪割りを僕がする理由なのだと思いました。


あー。コメントまで固い記事でした。
恥ずかしい。

ゼウス好色の裏は、そうなっていましたか。
面白いなぁ。

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